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楽しむ学ぶ「雛人形」
花 ひな祭り検定
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ひな祭り検定 回答と正解
ひな祭り検定
-目次-

飾り方マスター編】/【登場人物マスター編】/【女雛マスター編】/【男雛マスター編】/【三人官女マスター編】/【五人囃子マスター編
随身マスター編】/【仕丁マスター編】/【お道具マスター編】/【嫁入道具マスター編】/【婚礼行列マスター編

  ひな祭り検定 <9>1段〜5段目のお道具マスター編

ひな壇の脇役、桜・橘から菱餅、雪洞までお道具の「へぇ〜問題」です!

 
■10問中1問 あかりをつけましょ‘ぼんぼりに〜’この童謡の歌詞にある
‘ぼんぼり’って漢字でどう書くのでしょう。
(1)提灯
(2)雪洞
(3)盆灯

正解と解説


■1問目の解説 正解 (2) ‘ぼんぼり’という言葉は江戸時代に、「ぼやけていてはっきりしないさま」「物がうすくすいてぼんやり見えるさま」などの意味で使われていました。雪洞というのは‘あて字’で茶道から来ています。茶道具でお湯を沸かすお釜(=風呂)を覆う、木や竹に薄い紙を張った蓋があり、それを「雪洞(せっとう)」と呼んでいました。その、紙と竹を使った様子が、似ているところからい「雪洞」の字が当てられるようになったようです。 答えを閉じる

■10問中2問 これは三方揃(さんぽうそろい)と呼んでいます。また壺を載せている台を三方と言います。
三方は三方向にくり取った穴が三つあり、饗応(きょうおう→もてなし)に使います。
壷のようなもの=瓶子(へいし)に口花をさし三方にのせたものですが、さてどこに飾ってあるでしょう。
(1)男雛と女雛の間
(2)三人官女の中央の女性が持つもの。
(3)六段目の箪笥(たんす)の隣

正解と解説


■2問目の解説 正解 (1) 答えを閉じる

■10問中3問 緋毛氈(ひもうせん)
雛壇の敷物は江戸時代中期では更紗染めの木綿や風呂敷で済ましていました。
赤い緋毛氈が使用されたのは江戸後期と言われています。
さて毛氈の緋色にはどんな意味があるのでしょうか。
(1)男雛と女雛の愛の象徴
(2)魔よけ
(3)子宝祈願

正解と解説


■3問目の解説 正解 (2) そういえば神社にお参りに行くと「鳥居」、巫女さんの「袴=はかま」、祝儀袋の水引も赤が使われていますね。う〜ん納得! 答えを閉じる

■10問中4問 親王台(しんのうだい)についての問題です。
さてこの台に座ることが許されるのは、どの雛人形でしょう。
(1)左大臣
(2)内裏雛
(3)五人囃子

正解と解説


■4問目の解説 正解 (2) 畳の縁には雛人形のトレードマークともいえる繧繝錦(うんげんにしき)という織物がほどこされていますね。畳縁の中で位が一番高いとされている文様です。そして、天皇・皇族・上級公卿などは、他と区別するために菱を縦向きに置いた文様を使用したそうです。ところで内裏雛(男雛&女雛)は別名 ‘親王雛’とも呼ばれているのですよ。 答えを閉じる

■10問中5問 金屏風(きんびょうぶ)は中世以来、外国への贈答品としても大変重宝された日本独自の間仕切りです。
この日本独自のコンパクトになる折りたたみ方法は屏風だたみといわれました。
数え方には双を使用します。
さて問題、
外国へ行く際に必ず三双の金屏風を送る習わしがあったのはどの船でしょう。
(1)遣唐船
(2)遣明船
(3)黒船

正解と解説


■5問目の解説 正解 (2) 遣明船について
1368年に明(みん)が中国を支配すると足利義満は明と交易をはじめました。
そういえば金閣寺を立てたのも足利義満でしたね。

応永11年(1404)から天文16年(1547)までのおよそ1世紀半の間に明に派遣された船は17次84隻にも及びました。また遣明船は使節船であると同時に貿易船であったため、使節一行の他に多数の商人も乗せていたそうです。150〜200人に及ぶ乗員に加えて、水、食料、貿易品などを積み込むには、当然、大型船が必要でした。屏風は大きさの割りに和紙を使ってあり軽いことから良い贈答品となったことでしょう。
遣明船は、季節風を利用することが出来、春と秋に吹く東北の風に乗って大陸へ行く。そして、5月過ぎの夏の風(これは南西風)に乗って帰って来るという航海技術が開発され、非常に安全に航行が出来るようになっていたとのことです。 答えを閉じる

■10問中6問 あら、まあ〜美味しそうな御膳ですこと。
これは 懸盤膳(かけばんぜん) といいます。
次の中でひな祭りには出てこないメニューはどれ。
(1)赤豆飯
(2)栗ごはん
(3)白酒

正解と解説


■6問目の解説 正解 (2) お膳の高級品の型を懸盤膳(かけばんぜん)といいます。四方面の足の縁に盤を載せ懸けた構造から懸盤といいます。江戸時代後期になると雛人形も華美になり、大名家では雛に供えて人も祝う雛の料理も贅沢になりました。懸盤膳(かけばんぜん)の中には本物の食物が入っていたそうです。さぞかし美味しそうに見えたことでしょう。 一般家庭では質素で流行作家滝沢馬琴の『馬琴日記』によると、馬琴家では1834年3月3日は昼食に赤豆飯と一汁二菜。夕食に白酒と煮しめもので雛祭を祝っています。しかしテーブルがいらない分お食事したあとも片付けやすいですね。さすが日本人の知恵。 栗ごはんは秋のものなのでひな祭りには出なかったメニューですね。 答えを閉じる

■10問中7問 菱台(ひしだい)と菱餅について
次の中で江戸時代の菱餅には無かった色は?
(1)桃色
(2)白
(3)緑

正解と解説


■7問目の解説 正解 (1) 菱形の餅は室町時代から祝いの席などにも出されていたようです。それが3月3日の節句のもとなったのは江戸時代となってからです。幕末の江戸風俗を記した「守貞漫稿」(もりさだまんこう)(1853年)には、ひな祭りの菱餅は3枚で上下が緑で中が白、菱形の台にのせて備えるとあります。江戸時代は2色だったのですね。また蓬餅は大坂・京都・江戸の三都とも菱形につくり、京都では蓬と青粉、江戸では蓬が少なく青粉で緑色にして、名称は江戸は草餅、京坂はよもぎ餅と呼ぶと記載されています。桃色は明治以降に雛人形屋の発案で始まりました。 答えを閉じる

■10問中8問 菱餅の菱(ひし)、ひし形の菱・・・
菱っていったい何を指しているの?
(1)肘(ひじ)から転じて
(2)「菱」という水草の実の形とにているから
(3)「必死=ひっし」という言葉が転じて

正解と解説


■8問目の解説 正解 (2) 菱は大昔から日本の池や沼・湖に自生していた水草で、堅い果実が実り食用として採っていました。この果実はとげがあり、その形から菱形(ひしがた)という形の呼び名ができました。 答えを閉じる

■10問中9問 この木は橘(たちばな)ですが
わざわざ右近の橘(うこんのたちばな)と言います。
さて右近ってなんのこと。
(1)漢方薬草のウコンのこと。
(2)天皇側近の武官である右近衛府(うこんえふ)
(3)右大臣の近くという意味。

正解と解説


■9問目の解説 正解 (2) 右近の橘(うこんのたちばな)とは 京都御所、内裏にある紫宸殿前に植えられた橘の木のことです。天皇側近の武官として重要な存在であった左右近衛府(このえふ)。右近の橘とは右近衛府(うこんえふ)がこの橘から南を陣としたところから名づけられれました。橘は日本に古くから野生していた日本固有の柑橘類です。 答えを閉じる

■10問中10問 橘を右近の橘(うこんのたちばな)と呼ぶのなら
桜は何と呼ぶのでしょうか。
(1)右近の桜(うこんのさくら)
(2)左近の桜(さこんのさくら)
(3)右遠の桜(うえんのさくら)

正解と解説


■10問目の解説 正解 (2) 右近の橘と同様に、左近の桜とは紫宸殿(ししんでん)に植えられた桜。朝儀の際、左近衛府の武官がこの南側に詰めたことから名づけられました。 答えを閉じる

 
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