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楽しむ学ぶ「雛人形」
雛壇ストーリー
雛祭り起原考目次

はじめに

一段目 内裏雛
┗女雛
┗男雛

二段目 三人官女
┗提子
┗島台
┗長柄

三段目 五人囃子
┗謡
┗笛
┗小鼓
┗大鼓
┗太鼓

四段目 随身
┗左大臣/近衛中将
┗右大臣/近衛少将

五段目 仕丁
┗熊手
┗ちり取り
┗箒

六段目 嫁入道具揃
┗箪笥
┗長持
┗表刺袋
┗火鉢
┗針箱
┗鏡台
┗茶道具

七段目 御輿入れ道具
┗御駕籠
┗重箱
┗牛車

 
 



 

花 四段目/随身(ずいじん)

武芸に秀でたSP=Security Police・要人警護官。実は…

随身(ずいじん)
雛壇の解説

花 四段目の飾り方のポイント
随身(ずいじん)を飾ります。ここでは左上位とし、年配の黒い武官束帯姿の随身は左側(向かって右)です。 冠をかぶせ左手には弓、右手には矢の羽根を下にしてもたせてください。背負い矢は、向かって右の肩側に羽根の先が見えるようにします。 中央に菱餅と掛盤膳(かけばんぜん)を置きます。 

雛人形の解説
花 謎に包まれた二人の正体とは?

ここで、突然ですがクイズです。
Q.ひなまつりの歌には『大臣』の名称で呼ばれていたのは確かこの方々ではなかったでしょうか。服制から推測できる彼等の職分は?
(1)随身  (2)右大臣と左大臣  (3)左右近衛府(このえふ)の中将と少将

答えを導き出すために、有職装束研究「綺陽会」の八條忠基さまに解説いただきました。

(1)「随身」は通常の場合、衛府の下級官人(近衛府ならば将監以下)が貴人のボディーガードにあたるものです。よって、緋袍(五位)や黒袍(四位以上)を着用することはあり得ず、「随身」とするのは不適当でしょう。

(2)「大臣・左大臣」は公卿です。緋袍はあり得ません。また、たとえ近衛大将を兼任している場合でも、公卿は闕腋袍を着ない定めになっていましたから、いわゆる「武官束帯」を着用しないのです。

(3)闕腋袍(けってきのほう)は、中将・少将のみならず、他の衛府官や下級武官たちも着用します。雛人形の場合、天皇侍衛であることを考えますと近衛府に属すると思われます。
*侍衛(じえい→貴人のそば近く仕えて護衛する人。)
さらに左右の近衛府の区別が付くかというと、立ち位置です。天皇(親王飾りですが)から見て左に左近の官人、天皇から見て右に右近の官人が侍衛するのが仕来りです。ですから「向かって見た」場合、左右が逆になります。(京都市の左京区と右京区が地図で書いたときに逆転するのと同じ事です)

従いまして
黒の闕腋袍(武官束帯)=左近衛中将(さこんのちゅうじょう)
緋の闕腋袍(武官束帯)=右近衛少将(うこんのしょうしょう)
とするのが妥当かと存じます。
-有職装束研究「綺陽会」八條忠基氏さま回答より-

 有職装束研究「綺陽会」公式ホームページ

A.ということで、随身と呼ぶ名称はこの装束の場合、少々問題はあるようですが雛人形としての装飾的要素を踏まえてのことと理解し、当會ではこちらの雛人形は「随身」とさせていただきました。
随身左大臣近衛中将
 

花 登場人物11. 随身(ずいじん)/俗称 左大臣
  服制より 近衛中将(このえのちゅうじょう)

『たとえ火の中、水の中』お内裏様へ一生を捧げる忠義者

  儀仗の剣

儀仗の剣(ぎじょうのけん)
「儀仗(ぎじょう)」とは儀式に用いる装飾的で形式化した武器をさします。武官ならではの特徴というと武器ですが刀身にも刃はつけなかったようです。

   
  儀仗の弓

儀仗の弓(ぎじょうのゆみ)
礼装の武官束帯で持つため装飾の施された美しい弓を持ちます。同じ「儀仗の弓」でも公卿や殿上人では色や巻が違っています。

   
  矢羽

矢羽
弓と同様、やはり装飾性の高いものが作られ、こちらも階級によって色・柄が異なっていました。主として鳥の尾羽で鷲・鷹など大形のものが使用されていたようです。

   
随身左大臣
随身右大臣
 

花 登場人物12. 随身(ずいじん)/俗称 右大臣
  服制より 近衛少将(このえのしょうしょう)

晴れの舞台に立つ花形の存在。イヨッ!色男。

  巻纓冠

巻纓冠(けんえいかん)
男雛は天皇のみ着けられる立纓(たちえい)でしたがこちらは巻いてあるので巻纓(まきえい)ですね。巻纓冠は警固の任務の際にかぶるもの。

緌(おいかけ)
耳当てのようなこの装飾は馬の毛製です。武官束帯のみならず、下級者である随身の褐衣(かちえ)装束にも見られました。勇ましさが強調されるような装飾ですね。

   
  けってきのほう

闕腋の袍(けってきのほう)
この緋色と先出の黒色の袍は「闕腋の袍」(けってきのほう)といいます。名称も勇ましいですね。官人が朝廷に出仕するときに着用する衣服です。上衣の一つで、袖付けより下側で脇を縫わず、前身と後身が分かれたまま裾(きょ)が縫い合わさっておらず、乗馬等の便宜をはかるための形状となっています。男雛の袍は脇を縫っており縫腋袍(ほうえきほう)を着ていましたね。服制では色は黒が赤より上位の色となっています。ですので左上位の並び方では黒い装束の方が左側(向かって右)となりますね。


平緒(ひらお) 
束帯のときに剣を腰に下げるための帯として使用します。といっても唐組という豪華な織に緻密な刺繍を施してあり、束帯姿を引き締めるファッションポイントにもなっていますね。

   
随身右大臣
懸盤膳
花 懸盤膳(かけばんぜん)
お膳の高級品の型。四方側面に格狭間(こうざま)を大きく透かした足の縁に盤を載せ懸けた構造から懸盤といいます。黒漆金蒔絵の装飾が施されて豪華です。江戸時代後期になると雛人形も華美になり、大名家では雛に供えて人も祝う雛の料理も贅沢になりました。懸盤膳(かけばんぜん)の中には本物の食物が入っていたのですね。さぞかし美味しそうに見えたことでしょう。
一般家庭では質素で流行作家滝沢馬琴の『馬琴日記』によると、馬琴家では1834年3月3日は昼食に赤豆飯と一汁二菜。夕食に白酒と煮しめもので雛祭を祝っています。しかしテーブルがいらない分お食事したあとも片付けやすいですね。さすが日本人の知恵。
五人囃子大鼓
 
花 菱台(ひしだい) 

・菱餅について
『日本歳時記』(1687年)には「よもぎ餅を食べ、桃花酒を飲み、よもぎ餅を親戚におくる」とあります。また江戸時代の餅は現在より大切な食べもだったようで、絵や随筆にもよく取り上げられています。いっぽう江戸時代初期のひな祭りというと、敷物を敷いて一対の立雛を置くくらいで壇を作ることは少なかったようです。ひな祭りが一般化される前は人々にとっては雛飾りより、よもぎ餅と桃花酒をいただいて精気を養うことの方が重要だったのかもしれませんね。
ところで菱形の餅は室町時代から祝いの席などにも出されていたようです。それが3月3日の節句のもとなったのは江戸時代となってからです。幕末の江戸風俗を記した「守貞漫稿」(もりさだまんこう)(1853年)には、ひな祭りの菱餅は3枚で上下が緑で中が白、菱形の台にのせて備えるとあります。江戸時代は2色だったのですね。また蓬餅は大坂・京都・江戸の三都とも菱形につくり、京都では蓬と青粉、江戸では蓬が少なく青粉で緑色にして、名称は江戸は草餅、京坂はよもぎ餅と呼ぶと記載されています。

・菱(ひし)について
菱は大昔から日本の池や沼・湖に自生していた水草で、堅い果実が実り食用として採っていました。この果実はとげがあり、その形から菱形(ひしがた)という形の呼び名ができました。

・菱形について
菱形とは、四角形のすべての辺が等しくどの角も直角でないもの。単純な幾何学文様ですが実は雛壇の中に織文として多く見られます。親王台の畳縁に見られる繧繝錦もその一つ。中国の唐の時代にできました。また天皇・皇族・上級公卿などは、他と区別するために菱を縦向きに置いた文様を使用したそうです。その他、束帯の下襲・単衣、女房装束の唐衣の裏地・単衣など多くの織文に菱文様が見られます。四角形のすべての辺を等しくすることで生まれる完璧な品格。シンプルゆえの美しさを感じますね。

・菱餅の色について
明治時代になると赤のお餅が加わり、現代のような三色のお餅になります。明治44年刊の『東京年中行事』には赤白緑の三色とあります。この三色の意味を表現すると・・・ピンクは桃の花を象徴し、白は地上に残る雪、緑は雪の下に芽吹く新緑を象徴しています。3色が重なっている順序もその通りになっています。弥生3月、まだうっすらと白雪残る地上には可憐なピンクの桃の花が咲き、雪の下には草木の緑が今にも芽を出さんとばかりにじっと待っている情景が思い浮かびますね。

さらに現在の雛人形の菱餅は、4段重ねや5段重ねなど、色彩も様々なものがあります。人形師によると赤は太陽を、黄は月を表現しているとか。ん~色の世界も奥深いものですね。

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花 壇飾りゲーム
雛壇飾りを描いた錦絵使って、ひな祭り文化普及協會オリジナルの「壇飾りゲーム(無料)」をご用意しております。美しい絵と音楽で、飾り方を楽しく学べますので、ぜひ挑戦してみてください。

 
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