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楽しむ学ぶ「歴史」
雛祭り起原考
雛祭り起原考目次

はじめに

一、
天児と這子
「 まじないの対象物」


二、
ひいな「幼児の遊戯の
対象物」


三、
三月上巳の日と
「ひとがた」流し-
「呪術の対象」


四、
加太守雛
(かたもりびな)
「信仰の対象物」


五、
雛祭起原考
「雛人形」の発祥と
その推移


六、
「雛祭」の起原と
その変遷


結び
参考文献

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雛祭り起原考・要旨

ひな祭り文化普及協會 構 成  弥栄女
資料提供 菅原二郎

-雛祭り起原考・要旨 -

雛人形の生まれた時期
雛人形という名のお人形が現れたのは室町時代末期です。「をびな」の衣裳は「衣冠束帯」、「めびな」のそれは「十二単(正式には五衣唐衣裳=いつつぎぬからきぬも)」という、他の人形には見られない風格と豪華さを備えた一対の雛人形は天皇の住居を指す「内裏(だいり)」から「お内裏さま」と親しみをこめて呼ばれました。お内裏さまとは一対の雛人形をさし、お雛さまとは雛人形の15人全てを意味します。

雛祭りの起原について
雛人形を飾って『雛祭り』という行事が始まったのはいつ頃からでしょう。
江戸時代、天下の実権を握った徳川幕府は武家の新たな制度、行事などを整備していきましたが、その一環の中で「五節句」を定めその一つを「桃の節句」として三月三日を祝い日に定め、雛祭の行事を城中で公式に行うこととします。この『節句』とは中国由来の風習で、古くは『節供』と書き日本では季節の節目に旬の食材を神さまにお供えし無病息災や五穀豊穣を祈願しました。ひな祭りでのお供えは蓬の入った草もちや邪気を払うという言い伝えのある桃の桃花酒でした。「雛祭りの起原」については様々な言い伝えがありますが「雛人形」は室町末期に生まれ「雛祭」の起原を徳川幕府制定の時とするのが歴史的資料としても証左するものがあり妥当な考え方と思われます。  

女の子の初節句としての雛祭りについて
さて、今のような五段,七段といった段飾りは江戸後期に生まれ、嫁入り道具を網羅したお道具も増え夜は雪洞(ぼんぼり)を点火して親戚友人を招いて饗することとなりました。また女の子の初節句を祝うようになったのも江戸後期のようです。これから後の、明治、大正、昭和と時代ごとに変化と盛衰はありましたが、三月三日の雛祭の風習は連綿と続けられて今に受け継がれ、雛人形に娘の幸福を願う意をこめ、華やかな風物詩として愛好されています。

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