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楽しむ学ぶ「歴史」
雛祭り起原考
雛祭り起原考目次

はじめに

一、
天児と這子
「 まじないの対象物」


二、
ひいな「幼児の遊戯の
対象物」


三、
三月上巳の日と
「ひとがた」流し-
「呪術の対象」


四、
加太守雛
(かたもりびな)
「信仰の対象物」


五、
雛祭起原考
「雛人形」の発祥と
その推移


六、
「雛祭」の起原と
その変遷


結び
参考文献

 
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雛祭り起原考・要旨
 


ひな祭り文化普及協會 構 成  弥栄女
資料提供 菅原二郎

三、三月上巳の日と「ひとがた」流し。    
「呪術の対象」 その一

*1上巳(じょうし)の日について
 三月上巳の日は三月三日である。「有職故実」によれば、

 ―中国では、巳(み)は古来*2陽の極まる日*3不祥日とされ、*4の時代からはそれを三月三日とした。―

 とあるが、同書の記述ではどうも判然としないところが多い。同じ中国の故実に、この日、水辺に出て汚れを払った風があり、わが国に伝えられては、奈良時代、何故か同じ水辺でも「*5曲水の宴(きょくすいのえん)」という宮廷の風流な行事になった。不祥の日の祓いが何故風流の宴になったのか定かな説明はない。続けて同書では、

―平安朝になってから、唐の国にならって上巳の日を不祥の日として祓いをした―

―源氏物語須磨の巻に、光君は巳の日須磨海岸で、*6陰陽師を召して祓をさせ舟に人形(ひとがた)を載せて流しし事が見えている。人形は偶像で自己に擬し、一撫一吻といって手で撫で一度息を吹きかけ、わが身の汚と心の汚を人形に移し、これを海中に流し清浄潔白の身とならんとしたもので、三月三日に人形を祓に用いし風は後世雛祭りの起原になっている―

 とあるが、後世の雛祭りの風習から考え、この説、中々納得出来るものではない。
 「有職故実」にはこれ以上の記述はない。巳の日の祓に就いて、これが宮中でどのように行われたか、それは書かれていなく、この行事が何時頃まで続いたのかも書かれていない。光君の祓は具体的に書かれていても、その同じ日宮中で祓の儀がどのように行われたかその記述がないということだ。それが何故不審なのか同書の、六月の行事の記述を見れば納得出きるだろうと思う。
 六月は「*7大祓い」と記述されていてこの行事は一日より十日まで、十一日、十六日、と祓に関した行事があり、これらはすべて中国由来のものではなく、わが国固有の、神代以来の[禊(みそぎ)]につらなるもののようだ。そして三十日には天皇御自身の*8玉体の祓の儀があり、その後、「六月祓(みなつきはらい)」と呼ばれる国民の罪汚を祓う儀が行われる。この祓に就いて同書はこの月の行事は具体的に詳述し、また、その時代に依って変化した歴史、江戸時代まで続いていることの記載がある。祓の為に奉仕する人も決まっていたようで、江戸時代からは*9吉田家が奉仕したと書かれている。現代に就いては触れられてはいない。これはこれが書かれたのは昭和十年だから、宮中のことに触れるのは禁忌(タブー)だったからだと思われる。

この記述と比べた時、上巳の日の祓に就いて具体的な記述もなく、その後の歴史的変遷に触れることもないのはそれに関した記録が無い為としか考えられない。ということは、中国由来の故実から祓の日を定めたものの、長い年月続かなかったのでないかと思われる。

 
雛祭り起原考つづきを読む

【注釈】
*1 上巳-上旬の巳の日の意味
*2 陽の極まる日-中国では奇数を陽数として好み、偶数を陰数として嫌う思想が昔からあった。「一」は陽の本源、「二」は陰の本源、陰陽の本源が合体して、森羅万象を創り出すと考えられている。したがって、陽数は三から始まり、九に極まる。また奇数(陽)が重なると陰になるとして、それを避けるための避邪〔ひじゃ〕の行事が行われた。3月3日は奇数の陽が重なっており、陽の極まる日といえる。
*3 不祥日-良くない、不吉な日
*4 魏-元来中国古代の都市国家のひとつであり王朝の名。
*5 曲水の宴-流れてくる盃が自分の前を通りすぎないうちに詩歌をつくり、盃を戴く平安時代の宮中行事を再現する祭事。
*6 陰陽師-古代日本の律令制下に於いて中務省の陰陽寮に属した官職の1つ.後には本来の律令規定を超えて占術・呪術・祭祀をつかさどるようになった
*7大祓い-6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事である。犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という。6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいる。701年の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められた。
*8玉体-玉とは天皇の身の周りのものを尊称するための接頭辞。玉体は天皇の御身体のこと。
*9吉田家-公卿(くぎょう)の家の名。

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